葬儀の際、以前は会葬礼状に【 清め塩 】を入れられる事例が多々ありましたが、最近は「 浄土真宗では【 清め塩 】を入れない(用意しない)」とうのが、作法であるとの認識が広まってきたおかげで、葬儀社さんが事前に遺族や会葬者にご案内くださり、【 清め塩 】を入れない事例が増えてきたことは喜ばしい限りです。
なかには、会葬者向けに【 浄土真宗では〜〜 】といった立て看板を受付台近くに設置してくださる葬儀社さんもあり、住職としては、作法に敬意を示し順守してくださる姿を有り難くいただくばかりです。
先日、そんな熱心な葬儀社さんのご担当者から空いた時間に「 ご住職さん、ひとつ失礼かと存じますが、私が不勉強なもので・・・ 」とご質問をいただきました。それは、浄土真宗では【 清め塩 】を会葬礼状に入れない(用意しない)という作法を行っているものの、なぜ必要ないのかを遺族に間違いなく伝えたいという、ご担当者の思いからのご質問でした。
私(埼玉組内・某寺院住職)は、こうした質問をいただくことを大変嬉しく思います。特に、お寺とのご縁が今までなく、仏事が初めてといった喪主様の場合、葬儀社の担当者が仏事や儀式の案内を一番最初にいただく必要があるからこそ、間違った作法や情報を喪主様に伝えられると、その間違ったままの作法や情報が、次の世代・その次の世代に継承されてしまうので、葬儀のプロとしても間違ってはいけない、という意識を持ってくださりご質問いただくことに対して私は大歓迎なのです。
実際、担当者が宗派毎のお作法等をきちんと調べず、喪主様に適当な情報を伝えたり、他宗派の作法なのに浄土真宗でも行います等と、間違ったことを平気で伝える葬儀社の担当者が少なからずおられるのも、悲しいかな現実の状況なのです。
さて、話を戻して【 浄土真宗では何故、清め塩を用いないか 】のご質問があった際にお答えですが、私は以下のように伝道資料センターの文章を参照して説明させていただいております。
≪ 浄土真宗では 「 清め塩 」 を用いません ≫
清め塩の由来は、人間のもつ 「 死 」 への恐れから 「 死 」 を不浄なものとしてとらえ、それを自分から遠ざけようとする思いから生じたと考えられます。不浄 (死のケガレ) を清めるために塩を用いるというわけです。
浄土真宗においては 「 死 」 を不浄なものとはとらえません。それは、人間としての終着駅は仏としての始発駅であるとして、「 死 」 を仏としての新たなる誕生 「 往生 」 としてとらえるからです。
また清め塩をまくということは、生前親しんだ家族や友人達を、死を迎えた途端に不浄な存在として扱うことにもつながってしまいます。 「 死 」 は誰しもが決して逃れることができない問題です。私も例外ではありません。ですから浄土真宗では清め塩を必要としないのです。
以上です。どうぞ、浄土真宗の方であれば 「 諸行無常のなか、死もまた我にあり 」と領解させていただき、死をケガレとしてとらえるのではなく、仏としての往生としていただこうではありませんか。
また上記のとおり、葬儀だけでなくお墓を新たに建立された際の【 建碑(けんぴ)法要 】においても、塩や酒・米粒をまくことは、浄土真宗ではおこないません。
合掌