浄土真宗本願寺派( 本山・西本願寺 )埼玉組のブログです。
 
連綿と伝えられた姿と声
秋のお彼岸の季節となりました。

今年は、西日本を中心に天候の不順や自然災害が相次いだ年となりました。特に土砂災害により多くの方が亡くなられた、広島県安佐北区・安佐南区での災害は、今を生きとし生ける私たちに「 いのちの姿 」と、自然を含め「 諸行無常の中にある 」苦界の現実を教えてくださっているように思います。この場をお借りしてお亡くなりになられた方々をはじめ、ご遺族の皆様に哀悼の意を表します。

さて、お彼岸にはお墓参りに行かれる方も多いと思います。水をお墓にかけ、お墓にお供えをし、線香を焚き、掌を合わす・・・。古来より代々と連綿と伝わる、春と秋の彼岸の風景ですね。

でも、どうぞお忘れなく。お墓の前に幾ら高価な花を供えても、立派な籠盛りの供物を供えても、参られた方々が亡き人を偲びながら、自らの浄土往生(成仏)のご仏縁として「 南無阿弥陀仏( なもあみだぶつ )」とお念仏申すご縁となられないのであれば、少々残念でありましょう。

宗祖・親鸞聖人は「 父母の孝養ためとて、一辺にても念仏申したること、いまだ候はず (歎異抄 / 浄土真宗聖典834頁 )」と述懐されています。亡くなられた方を追善供養するという思いの中、南無阿弥陀仏のお念仏を申したことは一回もない。という意味であります。

その昔、浄土真宗は他宗の方より「 門徒もの知らず 」と呼ばれていた時代がありました。これは、正確には「 門徒もの忌み知らず 」です。すなわち、追善供養のために忌み弔いを行わない。という語源であります。

お墓参りは、私に命を託してくださった先人や、この世でのご縁をいただいた方々を偲び、私が成仏の法を聞かせていただき(聴聞)、そんな私を「 すくわずにはおれない 」と誓ってくださった唯一の如来、阿弥陀仏への御恩報謝のお念仏を申す、そんなご縁としてくれよ・・・、と先人方から願われていると味わせていただくお墓参りでありたいものです。

皆様におかれましても、お墓参りが尊いご法縁となりますように!

合 掌
【2014.09.18 Thursday 15:00】 author : saitamaso
| - | - | - | - | - |